食事訓について


■「いただきます」あらゆるものの命をいただいている ‐ 松原泰道師

・一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
 ⇒ 頂こうとしているこの食は、一体どれ程の人の手と時間と自然の
   恵みに拠って出来た尊い物かを理解し感謝して頂く。

・二(ふた)つには己(おのれ)が徳行(とくぎょう)の全欠(ぜんけつ)と忖(はか)って供(く)に応(おう)ず。
 ⇒ 自分は果たしてこれを頂くだけの徳行善行をしたか否かを反省してから頂くこと。

・三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
 ⇒ 囚われの心を解決し美しい真実の人に成るには、貪・瞋・痴の心
   を陶冶すること。

・四(よ)つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為(ため)なり。四には、正に良薬を事するは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
 ⇒ 食事は最善の薬である。修行するこの身体を枯れさせないため
    の良薬にほかならない。

・五(いつ)つには成道(じょうどう)の為(ため)の故(ゆえ)に今此(いまこ)の食(じき)を受(う)く。五には、成道(じょうどう)の為の故に、今、此の食を受く。
  ⇒  真実に修行し、真実の道を悟る為に今この食事を頂く。

  「食事訓」(五観の偈)とは、禅宗において食前に唱えられる偈文で、中国の宋の時代に体系が出来上がり日本に伝わってきました。
 あらゆるものの命をいただかなければ、生きることができないのが私たち。
 松原泰道先生は、「食事訓」を通して、生きていることに感謝し、生き方の種を蒔いていきましょう、そのようにお伝え下さいました。